この本の目的は、あなたの不安や心配事をクリアにし、あなたが生まれ持つポテンシャルを取り戻すお手伝いをすることです。
出典:『無(最高の状態)』
鈴木裕さんの著書『無(最高の状態)』を読みました。
人々が抱える、「不安」や「精神的な苦しみ」をクリアにすることを目指した書かれた本。
割と仏教寄りのワードが度々登場するので、もしかしたら抵抗ある方もいるかもしれませんが、、(笑)
著者はサイエンスライターとして数々のベストセラーを手がける鈴木裕さん。
他にも『YOUR TIME』『最高の体調』『科学的な適職』など、10万本以上の論文を読破した知見から、心身の健康やキャリア選択などに関する本を執筆されています。
自己啓発の世界などで、「自分らしく生きよう!」「自分に自信を持とう!」「好きなことをして自由に生きよう!」などとのアドバイスが溢れています。
しかし、それらのアドバイスで、根本的な問題が解決した人は少ないのではないでしょうか。
- なぜ人は「不安」や「苦しみ」を感じるのか?
- なぜ「感情の負のサイクル」から抜け出せなくなるのか?
- 同じ出来事や言葉に対して、ネガティブに感じる人とポジティブに感じる人がいるのは、どのような違いが原因なのか?
- そもそも「苦しみ」とは何なのか?
脳科学や神経科学、進化論などに基づき、上記のような疑問を解き明かすことで、「苦しみ」の共通項を見つけ出して普遍的な対策を取るのが、本書の考え方です。
社会問題とも言える、人々が抱えるネガティブな感情をクリアにすることは、果たして本当に可能なんでしょうか?
問題提起
苦しみや不安を抱えて生きる私たち
- ワイルコーネル医科大学の研究チームが行った研究で、参加者全員の日々の心配の内容と、それが実際に起こったかどうかを2週間にわたって記録した。結果、心配ごとが予想より悪く終わるケースは全体の3%に過ぎなかった。私たちが抱える心配ごとの97%は、実際には起こらないのである。
- それにもかかわらず、常に不安や心配事を抱えながら生きている人は非常に多い。特に若年層は深刻で、10代〜30代の日本人のうち、心配がないと答えた人は21.8%にすぎなかった。日本の10歳〜39歳までの死因で最も多いのは、「自殺」である。
- 同じ問題を抱えるのは日本だけではなく、一生の間にうつ病や不安症にかかる人が3割を超える国も珍しくない。
なぜ「苦しみ」は生まれるのか?
そもそも「苦しみ」とは?
- 「苦しみ」には様々な感情があるが、「必要な何かが不足している」ことを人に知らせるメッセンジャー機能であるという点で共通している。例えば、以下のようなものがある。
- 「怒り」:自分にとって重要な境界が破れたことを知らせる
- 「不安」:よくないものが近づいていることを知らせる
- 「恥」:自己イメージが壊されたことを知らせる
- 原始の時代では常に生命の脅威に晒されていたので、ネガティブな情報に敏感になることが生き延びる鍵だった。ネガティブな感情がなければ、身の危険を察知することも、大事なものを奪われても取り戻そうと思えない。
- 現代人もこうした遺伝子を受け継いでいるが、現代では生命の脅威に晒されることは原始の時代ほど多くない。遺伝子と環境のミスマッチが生じており、「苦しみ」は現代で機能不全を起こしている。
人は生まれながらネガティブである
- 私たちの脳は、ネガティブな感情ほど強く記憶する一方で、ポジティブな感情は長持ちしないことが分かっている。具体的には、以下のようになる。
- 「転んで怪我をした」程度の日常的な不幸は、ポジティブな感情のおよそ3倍の強度
- トラウマ的な出来事の場合、ポジティブの20倍の強度
- 一方で、たとえ宝くじで大金が当たった場合でさえ、半年後には元の精神状態にまで戻る
- これは原始の時代で生き延びるためにはネガティブな出来事を記憶する必要があった一方で、ポジティブな出来事を記憶するメリットはあまり大きくなかったから。なので、人はネガティブな出来事を強く記憶するように進化してきたのである。
- 幸せはすぐ消えるが、苦しみは幸福の数倍の強さで長く残り続ける。人間の精神は「苦」がデフォルトであり、生きづらさを感じても仕方ない。
なぜ「苦しみ」は増幅するのか?
「二の矢」が苦しみをループさせる
- ネガティブな出来事が発生する(一の矢)と、そこに対して様々な負の感情が生まれる(二の矢)。苦しみを増幅する最大の要因は、「二の矢」にある。ネガティブな出来事を起点に、悩んだり、不安が募ったり、自分を責めたり。「二の矢」は「三の矢」「四の矢」を次々放ち、何度も頭の中で繰り返される(反芻思考)。
- 「一の矢」:上司から怒られた
- 「二の矢」:自分は失敗してばかりだな
- 「三の矢」:自分はなんて駄目な人間なんだろう
- 「四の矢」:このままだと将来が不安でしかない
- 反芻思考のダメージは複数のメタ分析で調べられており、うつ病や不安障害との強い相関が出ているほか、反芻思考が多い人ほど心臓病や脳卒中にかかるリスクが多く、早期死亡率が高まる傾向が報告されている。
なぜ「二の矢」は生まれるのか?ー架空の物語を生む「自己」という存在
- 多くの先行研究で、「自己」にこだわるほど、不安や抑うつ状態などメンタルを壊しやすい傾向が報告されてきた。
- 「私は私である」という自己の感覚が、感情と時間の基準点として働いて「二の矢」を放つ。ネガティブな思考は自己を起点に広がり、嫌な感情を増大させる。
- 「なんで私が怒られるなきゃいけないんだ」
- 「ひょっとしたら私は嫌われているのかな」
- 「私が駄目だから失敗するんだ」
- 「私なんて生きていても仕方がない」
- 嫌なことがあった時、脳は上のような「架空の物語」を作り出す。事実は「一の矢」までであり、「二の矢」以降は脳が生み出す虚構に過ぎない。
- 元々物語は、わたしたちを守るものとして機能してきた。例えば、脳が物語を作ることで現実を事前にシュミレートしてくれるおかげで、人は視覚から得られる情報よりも早く現実に反応できる。しかし一方で、物語はトラブルを引き起こすことも多い。
- 脳が作り出した物語を、私たちはそれがあたかも唯一の「現実」であるかのように思い込む。脳が生むネガティブな「虚構」が、私たちを悩ませる「苦しみ」の起源であり、あらゆる「苦しみ」の共通項である。
解決の糸口ー「一の矢」は4秒〜6秒しか続かない
- 「一の矢」の影響は持続ぜず、平均して4秒〜6秒ほど続かない。なので、もし「一の矢」だけで苦しみを終えることができれば、負のサイクルに陥ることもなく、苦しみは消えてゆく。
- これは研究でも実証されており、例えばプリマス大学の実験では、ニコチンや好きなお菓子など好きなものを思い浮かべさせて欲望を掻き立てた後、半分の被験者にテトリスをプレイさせた。結果、テトリスをプレイしたグループは、もう一方のグループと比較して渇望レベルが24%も下がった。
- また、ここ数年の認知科学や脳科学の発達により、「自己とは特定の機能の集合体である」という考え方が生まれてきている。複数の機能のうち、状況により脳が「問題の解決に役立つ」と判断したものが自動で選ばれのである。こうして「自己」は日常的に生成と消滅を繰り返している。
- 「自己」はあくまで思考や感情のような生存のためのツールの一つであり、「私が無くても問題ない」状況が多く存在する。「自己」が生み出す物語に飲まれなければ、「苦しみ」は「一の矢」のみで終わり、やがて消えてゆく。「自己」を克服した「無我の状態」が、あらゆる「苦しみ」への解決の糸口になる。
無我(最高の状態)を手に入れる
ポイント①:心に「結界」を張る
- 「自己」は私たちを守るためのものであり、自己の克服作業は苦痛をもたらすこともある。そのため、まずは精神の拠り所(結界)を作ることで安心感を生み、自己を捨てても恐怖を抱かない精神の土台を作ることが必要。
- 結界を作り出すには、「セット」と「セッティング」という2つのポイントがあり、これらを整えていく。
- セット:個人の性格、意図、期待、感情などの状態
- セッティング:物理的、社会的、文化的な環境の状態
- 「セット」「セッティング」を整えるアプローチは、外部環境と内部環境の2つから成っている。
- 外部環境は、会社からの理不尽な指示や近所の騒音などの自分を取り巻く周辺環境のこと。環境を変えることで対策をする。
- 内部環境の対策は、大前提として食事・睡眠・運動の改善をすること(厚生労働省の一般的なガイドラインレベルで良い)。その上で、感情の粒度を上げたり(小説や外国語などで新しい言葉を学んだり、感情ラベリングなどが効果がある)、自分の部屋や、職場や学校などに「自分の精神の避難所」を作ることで、対策をする。
ポイント②:自分を縛る法律を理解する
- 同じようなトラブルでも、例えば友人と口論した時、後悔して自分を責める続けるか、前を向いて問題を解決しようと考えるかは、メンタルの強弱ではなく物語の違いによって発生する。
- 物語は自分の行動を導く法律のような働きをしている。良い物語や害のないものもあるが、時に「歪んだ法律(悪法)」が、自分を悪い方向に導くこともある。「悪法」は、例えば次のようなもの。
- 自分はいつも人に捨てられ、どうせ最後は一人になる。
- 誰かから精神的に支えられると感じることがほとんどない。誰も信用できない。
- 自分は人より劣っている。自分は無能なんだ。
- たとえ自分を犠牲にしても、頼まれたことは断れない。
「悪法」は、両親や友人との関係性、学校や会社での失敗体験、他人からの何気ない言葉など、人生のあらゆる出来事から作られる。自分がどんな悪法を持つかは自分ではどうにもならず、悪法を見極めて対処していくしかない。まずは自分の行動を縛る悪法を理解し、その上で対処を図る。
ポイント③:「苦しみ」にも「幸福」にも降伏する
- 私たちが抱く「苦しみ」は、抵抗すればするほど大きくなることがわかっている。見栄を張ったり、頑張りすぎたり、タバコやアルコールなどの刺激に頼ることによるネガティブへの抵抗をするほど、「苦しみ」は増幅する。
- また、今の社会には「人生を変えよう」「自分らしく生きよう」といったスローガンが溢れ、私たちは障害への抵抗を促される。しかしそれでは根本的な問題は解決しない。本当に重要なのは、苦しみへの抵抗ではなく、「降伏」すること。
- 「降伏」の効果を示す研究として、例えば2014年にブリティッシュコロンビア大学などのチームが行った研究がある。高負荷のサイクルトレーニングの半数の参加者にのみ不快な感情を出来るよう指示したところ、不快を受け入れたグループは主観的な辛さが55%も低下した。
- 「痛みへの降伏」とは、痛みを楽しむことでも自ら痛みを求めるわけでも、痛みをただ受け入れるだけでもない。苦しみのレベルを適切に見積り、できる限りの対処を行うこと。反芻思考や自分の体、感情、性格、失敗などへの「降伏」すること。
- また、「幸福」にも白旗を上げた方がいい。近年の研究により、幸福を追い求めるほど実際には幸福度が下がってしまう現象が何度も確認されている。いつも幸せばかりを気にしていたら、自己と自己が生み出すネガティブな物語に飲まれてしまう。
ポイント④:「停止」と「観想」で物語を現実から切り離す
- 人は「物語」の自動発生をピンポイントで止めることはできず、また「物語」によって行動させられる自分を認識することができない。そこで、物語に飲まれない脳の使い方をする必要がある。まずは「停止」で物語の強度を限界まで下げ、「観察」で物語を現実から切り離していく。
- 「停止」:脳のリソースを他のことに使うことで、物語が浮かばないようにすること
- 「観想」:脳内に浮かぶ物語をじっくりと見つめる作業
■停止
- 何らかの作業に意識を集中すると「物語」は「停止」する。例えばワイツマン科学研究所の研究では、健康な男女に同じ単語を何度も繰り返させたところ、安静時のベースラインと比べて自己にまつわる物語の量が優位に減る傾向が認められた。
■観想
- ジョブ・ホプキンス大学などのチームによるメタ分析で、座禅や瞑想に関する過去の研究から3515人分のデータをまとめたところ、「観察トレーニングを8週間続けると不安と抑鬱症状には一般的な薬物治療に相当するレベルの効果が出る」と報告された。
- 苦しみを拗らせる人は、世界の小さな変化全てを「自分ごと」に捉える。「観想」により心身の変化を自己の問題として捉えなくなるので、「ニの矢」を放つ回数も減り、物語を「これは現実ではない」と認識できるようになる。
無我によって私たちはどのようになるのか?
- 無我を手にいれて「自己」に飲まれなくなった人間は、何の感情もない廃人でもなければ、仙人のような特殊な人間になるわけでもない。
- ここ数年の研究で、「無我」と「智慧( IQや知識量ではなく、知識を正しく利用できたり、困難な状況でも適切に行動できる能力)」には強い相関性があるという事実が分かっている。例えばシカゴ大学などのテストによると、瞑想のような心身トレーニングに長く取り組んだグループほど、智慧のレベルが高い傾向が見られた。
- ウォータール大学のイゴール・グロスマンは、「どんな人でも必ず、「智慧」にみちた行動を取る場面も、誤った行動をとる場面もある」と報告している。「無我によって智慧のレベルが高まる」とはつまり、「無我」によって全ての人が生まれながらにもつ「善の力」が高まったものだと言える。
- また、「無我」は私たちに3つの変化をもたらす。
- 「常にオープンなマインド」:既存の思い込みに捉われなくなる。失望や挫折感に打ちのめされなくなる一方で、常に好奇心を持ち、オープンでいられる。
- 「変化への限りない受容力」:人には変化を嫌う心理が備わっているが、「降伏」のスキルによって世の中の不確実性や複雑性を受け入れやすくなる。
- 「圧倒的な自由」:物語にコントロールされることに本当の自由はない。「無我」になり客観的・冷静に考えられるようになると、自分の意志で行動を選択する余裕が生まれる。
古来より日本で受け継がれてきたある逸話の中で、体を失い魂だけとなった旅人と僧侶の話がある。
自分の肉体が死骸と入れ替わってしまった旅人は、あわてて僧侶のもとを訪れこう尋ねました。
「いま生きている自分とは、ほんとうの自分なのでしょうか?」
対して、僧侶は答えます。
「あなたが無くなったのは、いまに始まったことではない」
出典:『無(最高の状態)』
絶対的な存在に思える「わたし」は、実際には特定の機能の集合体であり、状況によって明滅を繰り返す。「わたし」が生み出す全ての物語も、意図せず生まれ、やがて消えていく。この感覚を養い続けていけば、「自己」が生み出す虚構に悩まされ、苦しみに捉われることも少なくなっていくだろう。
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